実は「うるま」は琉球全体を表す語としては語源論争もあり無理があるのだが、うるま・はりま・さつまと「~ま」というので語呂が良いので使うことにした。
「ま」は場所を意味する語というのは共通しているが、地名の語源の共通性には立ち入らない。むしろ、薩摩の影響を歴史的に受けた状況を捉えることが主眼である。
沖縄県は琉球王国以来薩摩支配からの影響が続いていることは周知の所だが、播磨は何の関係があるのかと疑問を持つだろう。
私も実は奄美を研究するまでは薩摩・鹿児島県には関心はなかった。むしろ、県知事が今の井戸知事までは坂井 時忠と貝原 俊民の昭和 45.11.24(1970)~平成 13.7.31(2001年)と佐賀県出身の元官僚知事が30年間も続いたことで、佐賀県に興味を持っていた。
実は兵庫県の初代知事は伊藤博文であることはあまりにも有名だが、姫路県改め飾磨県の兵庫県編入に際して実力を示したのが薩摩藩出身の森岡昌純であった。
兵庫県の高校では播磨・摂津・淡路・丹波・但馬の国が集まった県ということを副読本などで習う。正確には国の一部のみや他の国の一部も含まれているが、とにかく青森から山口まで本州を陸路で行くのに必ず通らなければならないでかい県としてよく知られている。
なぜ、でかくしたか薩摩出身の「大久保利通」の意向である。要するに外港神戸を維持し守るにはそれだけの後背地が必要と彼は考えたのである。
鹿児島県出身の川崎正蔵が川崎重工の前身川崎造船を創設したのは意外と知られていないが、兵庫県は沖縄県と並んで鹿児島県出身者が神戸阪神地域を中心に多く移り住んでいるのはよく知られている。
私のは水泳部の顧問で県大会によく係として出張したが、その時に鹿児島県のある藩の藩主の末裔の顧問と知り合いになった。彼の家族は最初北海道に移住したのだが、その後神戸に移り住んだという。
川崎重工の工員は鹿児島県の沖永良部島出身者が多いことも、移住者が多いことと関連していると思う。
教師も九州出身の人は結構いるが、今いる姫路の学校でも旧薩摩藩地域出身者が二人もいるし、明らかに姓で親が鹿児島出身と分かる生徒が何人かいる。
代々、播磨地方に住んでいた人は別として、播磨地方の企業への就職で移り住んできた人を調べれば、意外と鹿児島県との関連もよく分かるのではないかと思う。
北海道の開拓に薩摩藩・鹿児島県が大きく関与したことはあまりにも有名だが、播磨地方の明治以降の工業化や都市社会にも大きく影響を与えたことは確かなように思う。
内国植民地と北海道と沖縄は歴史的にみなされていたが、兵庫県はそれらとどう違うのかも考える必要があると思う。
兵庫県は日本の縮図と言われるが、播磨の置かれた状況ももっと考える必要があると考えている。
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