2013年12月1日日曜日

妙な偶然の牛島満と島田叡

先日、日本史の図表の売り込みで、担当者が沖縄戦を大きく扱っていますと見せてくれた。
そして、兵庫県と関係していることを強調して、写真を指さした。
島田叡である。
気になったので、Wikipediaで調べてみると兵庫県須磨の出身で、沖縄戦で亡くなった知事と言うことが分かった。
沖縄県知事は鹿児島県出身が多いと思っていたが、意外にも戦時中は早川元が長野県出身で昭和16年1月から昭和18年7月まで
泉守紀が山梨県出身で昭和18年7月から昭和20年1月まで 、それ以降は島田叡で6月死亡となっている。
三者とも共通するのは内務省の警察との関連である。
ただ、 早川元は軍に協力的、泉守紀は軍とそりが合わず、島田叡は軍と密接だったが、一般住民の信頼も厚かったようだ。

一方軍では、陸軍司令官は牛島満が鹿児島県出身で昭和19年9月から指揮を執った。
海軍根拠地隊司令官では大田実が千葉県出身であり、 島田叡と非常に信頼し合った関係だったという。
沖縄戦の悲劇を助長したのは牛島満であることはよく知られているが、大田実や島田叡は悲劇の中でも、島民を深く思っていたことは知られている。
戦時中島民のために尽くした最後の知事が鹿児島県ではなく、兵庫県出身であったことが何を物語っているか分かるだろう・・・。